LOGIN「お母様、お呼びでしょうか?」
小鈴は、華やかな笑顔で部屋に入ってきた。
「小鈴。あなたに頼みたいことがあります」
志津は、娘を見つめ、厳かに告げた。
「椿家の信用が落ちています。このままでは、今までのお付き合いも失われかねません」
「まあ……」
「近々、東雲子爵夫人のお誕生日を祝うお茶会が開かれます。
「本日はお越しいただき、ありがとうございます。 どうぞ、若葉の美しい庭をご覧になりながら、お過ごしくださいませ」 東雲子爵夫人の挨拶に、集まった婦人たちが笑顔で応じた。 五月の庭は、目にまぶしいほどの新緑に包まれている。柔らかな風が葉を揺らし、茶席へと続く庭先にも、清々しい空気が流れていた。 志津は扇を手に、周囲を見渡した。 東雲子爵家の茶会に招かれるのは、これが初めてではない。けれど、今日はいつもと少し様子が違うようだった。「このたびは、大変でしたわね」 近くにいた婦人が、東雲子爵夫人に声をかけた。「ええ。本当に」「皆様にお怪我がなくて何よりでした」「お気遣い痛み入ります。本日は心ばかりの席ですが、どうぞお寛ぎくださいませ」 東雲子爵夫人は穏やかに微笑んだ。志津は、その会話が妙に引っかかった。(東雲子爵家になにかあったのかしら?) それでも、こうして茶会を開くのだから、大したことではないのだろう。 志津は、隣に立つ小鈴をちらりと見た。「小鈴、今日は東雲子爵夫人に、きちんとご挨拶なさいね」「もちろんですわ、お母様」 小鈴は自信たっぷりに微笑んだ。 その姿に、志津はかつての自分を重ねる。 人目を引く華やかさ。物怖じしない態度。相手の懐に飛び込むことを恐れない強さ。 かつて花街で名を馳せた頃、志津もまた、それを武器にしてきた。 小鈴にも、きっとできるはずだ。そう信じたかった。 やがて、招待客たちは茶席へと案内された。 志津が目を向けた先には、東雲子爵夫人と、その娘の奈津子、そして――遥香の姿があった。 遥香は二人のそばに控え、何かを尋ねられては、控えめに頷いている。 志津は眉をひそめた。(なぜ、遥香があの場所にいるのかしら?) 軍人に
「あちらにいらっしゃるのは……」 志津が目を向けた先には、年配の夫人たちが集まっていた。「行きましょう」 娘を促し、そちらへ向かった。「ごきげんよう。皆様、お久しゅうございます」「あら、椿男爵夫人。ごきげんよう」 夫人たちは微笑み、軽く会釈を返した。「こちらは娘の小鈴ですの。西条家との婚約も決まりまして、これからは皆様と親しくお付き合いさせていただければと思っておりますのよ」 志津に紹介され、小鈴は華やかな笑顔を浮かべた。「ごきげんよう。椿小鈴ですわ」 ところが、夫人の一人は小鈴の姿を見て、わずかに表情を曇らせた。「小鈴さん。これは、あなたのために申し上げるのだけれど……」「はい?」「茶会では、振袖はお召しにならないものよ」 小鈴の笑顔が止まった。「……まあ」 志津も思わず息を呑んだ。 言われてみれば、そのとおりだった。 華やかな夜会とは違い、茶会には茶席にふさわしい装いがある。志津とて、芸者として名を馳せた身だ。着物の格や、その場に応じた装いを知らないわけではなかった。 だからこそ、顔から火が出るほど恥ずかしい。(小鈴! 女学校にも通わせたのに、こんなことも知らないなんて!) 礼をするために重ねた指に、ぎりりと力が入った。「……ご親切に、ありがとうございます」 志津は、どうにか笑顔を取り繕った。 しかし、小鈴は納得がいかない様子だった。「でも、せっかくのお祝いの席ですもの。華やかな方がよろしいのではありませんか?」 夫人の笑顔が、わずかに強張った。「そうね。けれど、茶会には茶会の作法がありますから」「……そうですの」 小鈴は口元に笑みを浮かべたまま、不満げに目を細めた。
「お母様、お呼びでしょうか?」 小鈴は、華やかな笑顔で部屋に入ってきた。「小鈴。あなたに頼みたいことがあります」 志津は、娘を見つめ、厳かに告げた。「椿家の信用が落ちています。このままでは、今までのお付き合いも失われかねません」「まあ……」「近々、東雲子爵夫人のお誕生日を祝うお茶会が開かれます。 有力な華族が集まる会合よ。 あなたの西条家の婚約者としての立場と、社交界の人脈を使って、椿家のために動いてちょうだい」 小鈴は、ぱっと顔を輝かせた。「お任せください、お母様! わたくしは西条家の婚約者。 皆さん、私の話を喜んで聞いてくださるはずですわ!」 小鈴は自信たっぷりに言った。「今までだって、椿家は社交界で大切にされてきたのですから。
「あの、こちらのお品は……?」 遥香は、店の奥に置かれた香炉を指さした。 淡い色彩と繊細な花模様。花弁の縁に添えられた細い金色の線は、母・洋子が好んだ意匠によく似ていた。「そちらは、先日ある旧家からまとめて仕入れた品の一つでございます」「……ほかにも、同じお家から仕入れたものがあるのですか?」「ええ。よろしければ、お見せいたしましょうか」「ぜひ、お願いいたします」 店主は奥から箱を運んできた。 中には、装飾品や小箱、調度品などが丁寧に収められていた。 遥香は、その一つを手に取った。「……あ」 品の裏側に刻まれた、見覚えのある家紋。 間違えるはずがなかった。 母が嫁入りの際に持参した品だった。
「……あの、そちらのお品を、見せていただけますか?」 遥香が指さしたのは、店の奥に並ぶ茶道具だった。「こちらでございますか?」 店主が棚から取り出したのは、淡い青磁の茶碗だった。 隣には、素朴な絵付けの水指や、小ぶりな茶入れが並んでいる。 どれも先ほどの鍾泉窯の茶碗に比べれば、華やかさでは見劣りする。 けれど、ひとつひとつに異なる趣があり、丁寧に作られた品であることは遥香にも分かった。「こちらは、近ごろ腕を上げてきた職人の作品でございます。まだ名の知れた作家ではありませんが、仕事は確かですよ」 店主の説明を聞きながら、遥香は茶碗を手に取った。 光の加減で、青磁の釉薬が柔らかく色を変える。 派手ではない。けれど、手の中にすっと馴染むような美しさがあった。「……素敵ですね」「お気に召しましたか?」
劣情が落ち着き、ようやく外出できるようになった遥香は、奈津子の実家を訪ねた。 先日届いた手紙には、助けてほしいことがある、とだけ記されていた。 遥香には一つ気がかりがあった。社交界での評判だ。 自分が後ろ指をさされるのは仕方ない。 だが、自分のような者と交流があると知れたら、奈津子に迷惑がかからないだろうか…… 遥香は、重い気持ちを引きずって、奈津子の生家である東雲子爵家の扉を叩いた。「遥香さん、来てくださってありがとう!」「お会いできて嬉しいわ、奈津子さん」 女学校以来の再会に、遥香の胸は弾んだ。 しかし、先ほどまでの心配を思い出し、どう切り出せばいいものか、と思案する。「遥香さん、ご結婚おめでとう! 遥香さんの素晴らしさを理解する方が、とうとう現れたのね!」「奈津子さん……!」 遥香の不安は、奈津子の一言で吹き飛んだ。「ありがとう。それで、何かあったの?」 遥香が尋ねると、奈津子は少し迷ったあと、口を開いた。「実は、先日、家に泥棒が入ってしまって。 宝石やお金のほかに、茶会で使うはずだった茶道具も、いくつか盗まれてしまったの」「まあ……! お怪我はありませんでしたか?」「幸い、家の者は無事だったわ。 でも、母はお気に入りの道具を失って、すっかり落ち込んでしまって。 楽しみにしていた茶会も取りやめようかと言い出しているのよ」 奈津子は、そっと息をついた。「近いうちに、母の誕生日を祝う茶会を開く予定だったの。 母は、派手好きでしょう? 自分の誕生日の茶会だからと張り切って、いろいろな方にお声がけしていたのに…&he







